出入りは入ったものが出てるのか問題

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先日こんなブクマがあったが、ほぼすべてのコメントが大筋では増田に賛成していて驚いた。そもそも出入りとは何であるのかを気にしてる人はほとんどいない……。

"出るって古語の"い・づ 【出づ】"、つまり姿を現すって意味じゃないの?"と私は書いた。

だが、正確には"出る"は"姿を現す"のが元々の意味であり、限定された場所に出入りするのは後付けの意味ではないだろうか。さらに言うならば、姿を現していないものは存在していないので出ることを禁じればすべてを禁じることができるのではないだろうか。

その論拠としてまず

場所を指定せずに"出る"とき、それは姿を現す

ことを挙げたい。

料理を出すというのは食卓に載せるという意味であり、鍋から取り出すだけではない。

顔を出せは会いに来いという意味であり、顔を入れることはない。

表に出て来いと言えば姿を見せろという意味であり、裏に入っていけはなんか怪しい。

現代でも出すは存在させる事なのだ。

丁度いいコメントがあったので引用したい。悪意があるわけではなく、「そもそも出入りとは何であるか?」を考えたコメントがこれしかないためだ。

「出禁」

でもそもそもの順番的には「入る→出る」の筈なので最初から字面では顛倒してる疑惑。関係ないかもだが、出勤・出社・出頭とかは全部「出」でその場に入ることを表現しているわけで、その影響だろうか?(適当

2017/03/21 13:59

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出勤・出社・出頭は全て共有している場に姿を現す。

伝統的に

場所を示さずに使う場合の出る・入るは認識域に出る・外れるという意味である

例えば、日の出日の入りはどこに出入りしているのだろうか?軽く調べたが日の入りで入った太陽がどこへ入っているのかはさっぱりわからなかった。

視界内に太陽が入っているのだろうか?そう考えた場合、夜明けは日の入りと呼ぶべきであることになってしまう。これでは逆だ!

つまり出入りというのはそもそも公の場に現れたりそこから移動したりすることだ。

出没も同様に出現して、没する(消える)。

ただし、"入る"は"出る"の対義語ではない

日本語に限った話かは知らないが古語では明確に強い言葉が存在しており、その対義語が一意に定まらない。具体的には、"ある(存在)"に関わる言葉は強い。

例えば、"あか"は赤だけでなく"明るい"でもあるというのは最近はよく知られているのではないだろうか?明るいものはだいたい赤い―炎は赤いし、夜明けも赤い。

だが、"赤い"の反対は"青い"であるが、"明るい"の反対は"暗い(黒)"である。

"あか"が先にあり、そうでないことを表す言葉が後でできたと考えれば辻褄は合う。"赤く明るいもの"はそうでないものよりも重要なので先に生まれておかしくない。"赤く明るいもの"でないものは赤くないものかもしれないし明るくないものかもしれないが、それを何と呼ぶかは後で適切な言葉を与えればよく、実際にそうしたのだろう。

出る(出づる)も同様だ。出る=姿を現す、つまり存在することはそれが特定の場所に入るよりはるかに重要だ。出るは場所を指定せずに使えるが、逆に場所を指定せずに"入った"場合、その入ったものはどこに入ったか文脈に寄らねばわからない。入るは出るの逆より弱いのだ。

出勤・出社・出頭の逆は退勤・退社であり入るではない。出頭に至っては逆の言葉が見つからない始末だ。

さらに言うと

"順番的には「入る→出る」"は思い込みで「出る→入る」の順が正しい

出ている=存在しているものを何かに入れることはできるが、入っている=認識内に存在していないものを出すことができるか?出た太陽は入るときまで太陽だろう。だが次も太陽は出てくるだろうか?それは誰にもわからない。二度と出てこないかもしれないし、中身は出せるかもしれないが入れたものがそのまま出てくるとは限らない。

生きた猫を箱に入れてから出しても、生きた猫が出てくるとは限らないのだ。

 

結論として

出入りの"出"が禁止されるのは優先順位的に正しい

仮に入ることだけを禁じた場合は、境界の外に現れるのは可能となってしまう。これは鬱陶しいことこの上ないだろう。

存在そのものを禁ずれば入ることも禁ずることができる。

その意図を込めて略したとは限らないが。

 

プラトンを根拠とする教育の定義

そもそも教育とは何であるのかを理解してない某大臣などもいらっしゃるようで困った限りです。

とはいっても、教育とは何であるかをその根拠込みで教わった人もそう多くないと思うのでメモとして残しておこうと思います。

 

・教育とは何であるか?
wikipediaから引用しますが下記の根拠による限り概ね正しいと思われます。
"教育(略)は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、心と体の両面に、意図的に働きかけることである"

 

・教育が上記の通りである根拠は?
この教育の定義は最初の大学であるアカデメイアを作ったプラトンとその弟子のアリストテレスが採用していたものです。※私塾・学園はたくさんありました。
大学や西洋式教育機関の元になった教会はプラトンの方針を受け継いでいるので、
この定義は引き継がれていると言っていいでしょう。

 

・アップデートされていないのか?
プラトンの哲学によれば参加者の合意が形成できれば定義を更新することができます。
が、教育の定義について細分化はされても教育そのものは更新されていません。

 

・教育は誰の責任であるか?
アリストテレスは"意図的に働きかけることである"ことであるので働きかける主体の責任であるとしています。
社会的な教育なら社会の責任、業務に必要な教育なら企業の責任ということですね。


・教育方針は自由であるか?
教育方針はその責任者の自由ですが、これは教育者の自由という意味ではありません。
社会的な教育の責任者は社会なので、社会の求める方針をとらなければならないでしょう。

特に決められてない分野や企業が業務のために施す教育は社会に反しない範囲で自由でしょう。

 

・幼稚園の教育は社会的な教育か?
幼稚園に限らず日常会話などの幼年教育を行わなかった人間は社会に適応できないので幼年教育は社会的な教育そのものです。

 

・社会の求める教育とは何か?
日本は民主主義政治をとっているので政府が立法した教育が社会の求める教育と言っていいでしょう。

 

・政府の立法した教育とは
教育基本法があるのでwikisourceから引用します。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%B3%95_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD)


"第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。"

なお、幼年教育や社会教育についても定義されています。

 

教育勅語は社会的な教育として採用できるか
教育勅語天皇から与えられたものであり、日本が国民主権をうたう以上はそのまま採用することはできません。反社会的行為です。

天皇に関する記述を削除して単なる幼稚園の教育方針とすれば反社会的な要素はないので特に問題はないでしょう。

なお、教育勅語日本国憲法施行の一か月前に失効しています。

 

・差別主義を教育する自由は有るか?
国民の総意として差別の解消が宣言されているので、差別主義を教育するのは反社会的行為となり許されません。

 

・国民の総意として差別の解消が宣言されているってホントに?
本音や実行力はともかく歴代総理はそう答弁しています。

 

なお法学や教育学の専門家というわけではないので間違いがあるかもしれません。指摘をもらえれば修正します。

虚構新聞はデマサイトか?

この記事の趣旨について

これは id:turanukimaru虚構新聞はデマサイトかの問題について自分の理解を述べたものです。

 

結論

二行で書くなら以下のようになります。


虚構新聞をデマサイトとして扱うべきだという主張は理解できるがデマサイトそのものであることには同意しかねる」
SNS・ネットから虚構新聞を除去してもデマは広がるが、虚構新聞からSNS・ネットを除去するとデマは広がらないからSNS・ネットの問題である」

 

前書き

反論が無ければ俺の勝ちなんていう気は有りません。この記事に対する反論があるならいただきますし、URLをいただければ(罵倒が無ければ)記事も読みますが、

ぶっちゃけ私みたいに周回遅れで議論に参加する人が多すぎてつらくないですか?

 

不特定多数を納得させる努力は素晴らしいですが、徒労でもあるので正直言ってお勧めしかねます。

人と人は同じ問題を共有することも、同じ理解を共有することもできません。共有したことを確認することもできません。
同じ言葉を喋ったとしても同じ実在を対象にしていることを証明できないからです。
これは洋の東西を問わず、2500年ほど前に判明しながら解決されていない問題です。

 

お互いに理解を深めることはできますが、最終的に同一であることを証明できませんし多大な苦労が伴います。
親しい仲や仕事・政治などで必要ならともかく、通りすがりのような人が理解しないことに激怒してもつらいだけです。

お互い通りすがりに一言ってフーンで済ますくらいでちょうどいいのではないでしょうか。

まぁそう思ってはてぶを始めてみましたがid付きで罵倒されてしまい、私は結局うまくいかなかったのですが。

 

以下は本題です。

 
虚構新聞はデマサイトであるという主張はどういうことか?

特定の記事を上げると「俺はそんなことを書いていない」と怒られてしまうのであげられませんが増田(anond.hatelabo.jp/20110712181304)なら大丈夫でしょう。引用します。それにしても古いな!

 

引用----
自分は「嘘を書くな」とは言っていない。重要なのは次の点。

虚構新聞を嘘だと気づけない人が大量にいる。
・「嘘だと気づけない人が大量にいる」ことを虚構新聞はわかっていて、意図的にその人たちからのアクセスを狙っている。
/引用----

 

更に他の主張を見てなるべく緩くとったところ、デマサイトとして機能するのを自覚しながらやってるのだからデマサイトである、という主張になるかと思います。
意図してデマサイトとして振舞っているのだからデマサイトである、と言ってもいいでしょう。

流石にこれには反論できませんし、道徳的にも正しいかと思います。
虚構新聞をデマサイトとして扱うべきである」と主張されたなら、私は同意はしませんが理解はできます。

 

しかし、「意図してデマサイトとして振舞っているサイトはデマサイト」自体を証明するのは難しいのではないでしょうか?意図してデマサイトとして振舞っているとはどういうことかを定義しなければならない問題が発生します。

また、適用する際にも他人の意図を証明するのは非常に難しく、相手が「俺はそんなことを言っていない」と言えばあとは主観のぶつかり合いです。
主観のぶつかり合いで合意を得るのは困難です。主張の根拠も主観となり、主観は共有できないからです。

一方、意図と関係なくデマサイトとして振る舞っていることを証明するにはデマサイトを定義し、虚構新聞がその定義を満たすことを証明しなければなりません。
これは定義にもよりますが証明困難でしょう。定義を広くとれば冤罪が発生し、狭くとれば回避が容易だからです。
また、最近話題のフェイクニュースはもともとデマばら撒きサイトだったのが、デマ便乗のPV稼ぎサイトを追加して定義が変化しています。
最近変わった定義で断罪するのはフェアではないでしょう。言うとしたら「問題になりそうだからそろそろやめとけ」くらいです。


それはそれとして、定義はともかく現実としてデマになってるではないのかという問題もありますが、私はそれはSNS/ネットの問題として扱っています。
何故なら、SNSから虚構新聞を除去してもデマは広がりますが、虚構新聞からSNSを除去するとデマは広がらないからです。

虚構新聞を除去しても解決しない問題ならば虚構新聞の問題ではないでしょう。


以上により、冒頭で述べた結論となります。
デマサイトとして扱うべきだという主張は理解できるが同意しないのは、主観で断罪したくないからです。主観の話はそれもそれで長いので別にしたいと思いますが私は自分の主観を大事にしていないので単に書かないかもしれません。

 

以下は定義についての話です。

虚構新聞はデマサイトであるか?

・デマサイトとはなんであるか?

ここでは、最近フェイクニュースとして問題となっているサイト、
または、デマが記述されているサイトであるとします。

 

・フェイクニュースサイトとはなんであるか?

嘘の記事を本物らしく載せたサイトです。元々は主張に基づきデマを流布するサイトでしたが、
最近はデマに便乗してPVを稼ぐことを目的とした主張自体には意味が無いサイトが問題となっています。


虚構新聞はフェイクニュースであるか?

前者のフェイクニュースではありません。虚構新聞には特定の主張がないためです。
後者としてはこれから問題になる可能性があります……が、googlefacebookの対応を見る限り
ファクトチェックなどを行っており、完全な虚構をフェイクニュースとして扱ってるか正直解りません。
snopes.comではabout usに風刺と書いてあるサイトも扱っているので風刺はアウトのようです。
一方、URL/タイトルがフェイクを示唆している・記事から虚偽であることが解るサイトは見ませんでした。
正直見続けるのが苦痛なのでほんの少ししか見ませんでしたが……
詳しい方はご教授願います。

 

ともあれ、後者としては現在コンセンサスを作っている最中であるため当たらないでしょう。
これからアウトになる可能性は十分にあります。
日本は日本のコンセンサスで判断するべきという人もいるでしょうが、
私は日本人がコンセンサスを確立するところを見たことがありません。
せいぜい、すでに出来上がった何かをコンセンサスとして認定するくらいです。
虚構新聞を焼き討ちにしてコンセンサスだと主張することもできるでしょうが私はそれに加担したくありません。

 

・デマとはなんであるか?

wikipediaから転記します。
引用----

デマとはデマゴギー(独: Demagogie)の略で、本来は政治的な目的を持って意図的に流す嘘のことであり、転じて単なる嘘や噂、流言などを指すこともある。

/引用----


他にも定義があるのでしょうが、流布または騙す意図を持った嘘を指すことが多いようです。A=AとA≠Aは同時に成立する、と書いた場合はこれは嘘ですがデマと呼ぶには当たらないでしょう。

流布または騙す意思のない嘘をデマと呼ぶ例があったら教えていただけると助かります。

 

虚構新聞は嘘で騙す意図があるか?

サイト上では虚構とはっきり書いてあるので騙す意図があるとは言えないでしょう。
下の端に"この記事はフィクションであり実在の人物・団体とは関係ありません"の文字もあります。
記事から騙す意図を証明するのは難しいのではないでしょうか。

 

虚構新聞は嘘を流布する意図があるか?

これは明確に無いと言えるでしょう。嘘を広告してませんし、嘘に一貫性がありませんし、嘘のメリットもありません。
嘘を流布する意図を証明するのは難しいのではないでしょうか。

 

以上により、デマ認定するのは難しいのではないでしょうか。


おまけ

虚構新聞は悪質なサイトであるか?

・悪質なサイトとはなんであるか?

悪意のある記事や、悪意をもって閲覧数を増やそうとしているサイトであるとします。

 

虚構新聞に悪意のある記事は有るか?

他人の発言を捏造している記事があるのを教えてもらいました。これは人として許すべきことではなく悪意があると言えるかと思います。

 
・悪意をもって閲覧数を増やそうとしているか?

twitter上で記事の更新を告知しているのは確認しましたが、アカウントが虚構新聞なので単なる告知で、許すべきでないと言われると困ってしまいます。
一方、タイトルに虚構または嘘を示唆する言葉は入っていないので発言だけ見れば釣り記事となり悪意があると言えます。
twitter上のルールは良く知らないのですが、リツイート時には発言元が保持されるので問題はないでしょう。
もちろんタイトルのみをツイートすることはできますが、非公式な方法を実際に使われているからという理由で考慮しろというのはきりがありません。

 

前者により、虚構新聞を悪質なサイトと認定することは特に問題が無いと思われます。

ただし、悪意にあふれてると認定するには悪意のある記事の割合を調べる必要があるかと思います。程度問題は基準がまた別です。


以上、定義としてはデマサイトとするには難しいと思われます。


なお、定義に対しての反論は結論として~と思う、~であるべきははありがたく受け取りますが
根拠として~と思う、~であるべきは事実として共有できない(共有を確認できない)ので合意しかねます。
根拠としてコンセンサスを上げる場合は、(googleなどの)集団がそれを確立し明文化しているものを根拠としてお願いします。

言い方を変えれば、一般的にや道徳的に見ては事実として共有できない(共有を確認できない)ので合意しかねます。

 

なお、この記事はテキストエディタで書いた記事をそのまま貼り付けたものなので修正が入る予定です。ぶっちゃけ読みにくいですよね。